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建築家コラム 第50回ゲスト 「有井 淳生」 2025年12月1日 一覧へ戻る
令和7年12月の建築家コラムをお届けします。

今年最後の建築家コラムになりますが、50回目のゲストは「有井 淳生(ありい あつお)」さんです。

有井さんは、東京大学工学部建築学科を卒業、同大学院を修了後にOMA、シーラカンスアンドアソシエイツを経て、2015年にアリイイリエアーキテクツを設立し、今年10周年を迎えられました。

今回、有井さんからどんな「床」にまつわるお話が聞けるのかとても楽しみです。
それでは有井さんのコラムをお楽しみください。

アリイイリエアーキテクツHP
https://www.ariiirie.com/
 ■建築家コラム 第50回ゲスト 「有井 淳生」 拡大写真 

有井淳生(ありいあつお)/建築家

1984年神奈川県生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、同大学院新領域創成科学研究科修了。OMA、シーラカンスアンドアソシエイツを経て2015年アリイイリエアーキテクツ設立。
主な作品に倉庫とオフィスが共存した「清光社 埼玉支店」、コスメティックブランドSHIROの開かれた工場「みんなの工場」、東京郊外の小住宅「リトリートハウス」など。
主な受賞歴にJID AWARD 2020 大賞、第47回東京建築賞一般一類部門最優秀賞、第24 回木材活用コンクール林野庁長官賞など。




床と触覚

 ウルトラライトハイキング、と言われる、できるだけ軽装備で山に行くハイキングの考え方がある。持ち物を秤で測り、もしもの時に必要な薬から、物を小分けにする袋まで、本当にそれが必要かを問いかけ、極限まで所持品を軽くして山行する。軽くすることには、背負う重量が軽い方が体に負担が少なく安全で、結果としてより自然を楽しむことができる、という考えなのだが、その必要最低限を追及する姿勢は山での仮住まいとなるテントにも及ぶ。ウルトラライトハイキングを行う人の中には、わざわざテントの底面の生地を切り抜いて使う人もいる。その方が底面の傷を防ぐために敷く下地も省略でき、雨の時にもテントに入った水が地面の傾斜に沿って出ていくので、かえって都合が良いのだという。仮の住処に床が必要ないという事実は、私たちに建築における床とは何か、改めて考えさせる。

 風雨と外敵から身を守ることから始まったであろう原初の建築には、屋根と壁があれば十分で、床は必要なかった。ロージェのプリミティブ・ハットに床はないし、初めて日本列島に定住した縄文人たちが作った竪穴式住居には床板はなく、掘り下げた地面そのものが床だった。ヨーロッパでは日本で言う1階は0階と表記され、その床は外の地面と地続きだ。床がはじめて必要になるのは建築を積層させるときである。組積造文化圏で1階の床が石やレンガでできていても2階から上の床は木で作られ、のちに木は鉄骨や鉄筋コンクリートにその役割を譲り、新大陸のアメリカでは摩天楼が出現し、地面の価値そのものを変えるに至った。経済が支配する資本主義社会の現代において、床はあらゆる意味で決定的な存在だが、空間を「囲う」ことを目的とする建築にとって、地面ははじめからあるわけだから、極論を言えば床は二次的な存在に過ぎない。

 しかし、考えてみれば、私たちは、写真、そして今はVRで建築空間を視覚だけで疑似体験することはできても、実際に建築を訪れるとき、床を歩くことなくその建築を体験することはできない。そして、壁や天井は叩いてみないとその下地がわからないのに対して、私たちは床を歩くことで、常にその表面だけでなく背後の成り立ちを感じ取っている。だから、レヴェレンツの聖ペトリ教会では床面の傾斜や、人のふるまいを導くように敷かれたレンガの細かな凹凸だけでなく、そのしっかりとした硬さに大地とつながった感覚を感じ、逆に「土間」と名付けられた場所の踏み心地が柔らかいと、床と地面との間の空洞に違和感を覚える。意識的でなくとも、私たちは床から強制的に触覚的情報を受け取っており、それを受け取っているのは私たちの足である。
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聖ペトリ教会の床、スウェーデン、クリッパン

 ダンスの基本である「ステップ」とは、足の動きの決められた一連の流れのことだが、ダンスにも「フロア」と呼ばれる、手を床について踊る動きもある。このことは、かつて私たちと地面との接点は四点あったことを思い起こさせる。二足歩行することで人間は道具を発明するに至ったが、二本の足はいまだに私たちに地球に生きる上で避けられない重力を日々伝達している。日常生活の中で重力の感覚が変化するのは、プールや海でのたまの水中体験くらいだが、そもそも私たちは母体から生まれる以前は、羊水という水の中で泳いでいたのだ。重力の世界に登場させられた後は、寝たままが精一杯の姿勢から、次第に手足を使って床を這いずりまわり、その後立てるようになって、床との接点は足に集約される。ツボを押して胃腸の状態が改善されるくらい、足の裏は人間のパーツの中でも特別な場所らしい。

 旅行先のベッドで、足元に横向きにかけられたベッドランナーは、住空間の中で最もプライベートな領域であるベッドの上さえも靴を履いて上がるのか、と日本人の私たちには文化の違いを感じさせる。日本では床の段差は壁のない内部空間の中で重要な境界だったのに対し、土足文化では上り框という入り口の最初の段差がないことによって、床の段差の境界性は相対的に弱い。そして、1階の床面に石という形で外の地面が入りこむことによって、日本とは異なる地面に対する触覚的文化が育まれてきたのではないだろうか。ナポリでは、家の前に椅子を出して路上から窓越しに家の中のテレビを見る風景が日常だと聞いたことがあるが、家の中の石の床という外部的内部での暮らしが、逆に路上を内部的外部として使いこなす、組積造の分厚い壁を自由に横断する生活スタイルをもたらしたのではないか。教会の入り口の石段の前で、老若男女が自然と腰掛ける姿には、そこから派生した都市そのものの使いこなし方を見て取れる。
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教会の石段、イタリア、トリノ

 そう考えると、床は建築にとって二次的どころか、生活の在り方まで左右する、実は最も人間に近い建築の構成要素だと言えるのかもしれない。畳はもともと寝具だったように、また、絨毯は床だけでなくテーブルに敷く織物だったように、床は天井や壁よりも家具的な存在だ。家具も床も、人と身体的にかかわっている。床について考えるとき、それは見た目や表面の素材感にとどまらず、踏むことでその背後に感じる構築的な成り立ち、そしてそこを起点に展開される生活の可能性にまで議論は広がってゆく。その先には、コロナ禍を経て私たちが改めて知った、人間の逃れられない物理的身体性と、その根源である触覚の世界の広がりと楽しさが潜んでいるはずだ。


有井さん、ありがとうございました。

床は天井や壁よりも家具的な存在という考え方にはっとさせられました。普段、リビングで木の椅子と木のテーブルに座っている時にも、足は必ず床に着いていて、体に触れているという意味では椅子やテーブルと等価な存在ですね。
インテリアも家具と床のコーディネートを考えることが多いですが、床材の素材・質感・色などを重視する点でも、床は家具的な存在ということが言えるかと思います。

これからもますますのご活躍をお祈りしております。どうもありがとうございました。
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