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建築家コラム 第32回ゲスト 「冨永 美保」 2022年12月1日 一覧へ戻る
皆さんこんにちは。
令和4年も師走を迎え、なにかと気ぜわしい毎日ですが、皆様お変わりございませんでしょうか。

さて、建築家コラム32回目のゲストは「冨永 美保(とみなが みほ)」さんです。

冨永さんは「日常を観察して、さまざまな関係性の編み目のなかで建築を考えること」を大切にされていますが、その原点はコラムに書かれている「秘密の宇宙」にあるのかもしれません。

今回、冨永さんからどんな「床」にまつわるお話が聞けるのかとても楽しみです。
それでは冨永さんのコラムをお楽しみください。
 ■建築家コラム 第32回ゲスト 「冨永 美保」 拡大写真 

冨永美保
miho tominaga

横浜国立大学大学院Y-GSA修了。東京藝術大学美術学科建築科教育研究助手を経て、2014年にトミトアーキテクチャを設立。
大切にしているのは、日常を観察して、さまざまな関係性の編み目のなかで建築を考えること。
小さな住宅から公共建築、パブリックスペースまで、土地の物語に編みこまれるような、多様な居場所づくりを行っています。
第1回JIA神奈川デザインアワード優秀賞受賞、SDレビュー2017入選、第2回Local Republic Award最優秀賞受賞、2018年ヴェネチアビエンナーレ出展。


環境をみつける床
tomitoarchitecture 冨永美保



小さい時に住んでいた家は9階にあった。臨海部のマンモス団地のアパートの一室である。
4人家族用の「the平均」な間取りに、室外機と洗濯物で埋まってしまうような小さなバルコニーがついていた。
外に出ると、簡素なアルミの手すり越しに団地の生活が見える。
向かいのアパートの風に揺れる洗濯物、小山のあるタイヤ公園、トタン屋根の駐輪場、スーパーに向かう自転車の親子、道端での井戸端会議、電話ボックス、じっくりと一様に染まっていくパノラマの空模様。
地面を歩く登場人物は蟻のように小さく見えて、遠くにいるはずなのに不思議と声がよく通った。
9階のベランダから覗きみる世界は、グランドレベルから独立した場所にある。バルコニーの並ぶ立面のほんの一部、誰も知らないコックピットのような、秘密の宇宙だった。

夏が来ると、玄関戸とバルコニーの戸を開けて、南北に風を通しながら過ごした。
共用廊下は、9階のフロアの住民しか立ち入らない。高さゆえに虫さえ入ってこない。オートロックもないようなボロいアパートだったが、いやでも人の目が常に行き届いてしまうために、誰もが認める安全地帯だった。
同じフロアの14世帯が月に一度エレベーターホールに集まって、自治のための会議が行われた。
団地のお祭りの話や、ゴミ出しのルール、変質者がいたなどの事件や世間話をするのである。

15歳の時に引っ越しをして、1階に住むことになった時に、床の高さの差によって、自分自身とつながっていると思える環境や、隣人と思える単位が、ずいぶん違うのだと初めて気がついた。

引越し先も変わらずアパートだったため、同じように小さなベランダがついていたが、広がるのは団地の生活風景の鳥瞰ではなく、視線制御のために規則正しく植えられた生垣だった。
そこには9階にあった宇宙はない。エレベーターホールの会議も、隣人コミュニティもない。
ただ、自宅の前を往来する人がたくさんいて、そのほとんどが見ず知らずの他人である。
「玄関とは別に、バルコニー側にも入り口をつくって、家の一部をたとえばお店にできたのではないか?」と考えるようになった。母は、「老後に足が弱くなっても、1階であればきっと安心に違いない」と言った。
大好きだったベランダの宇宙を失った喪失感の傍ら、9階にはなかった、新たな期待を見つけていく過程だった。

大人になって建築の設計をするようになり、あの時感じていた「床の高さによる違い」について改めて考える。
設計を始めてから一番はじめに借りた事務所は築50年、平家建ての古民家で、大きな中庭があった。そこには祠や池があり、ぐるりと縁側がまわっていた。春が来ると池におたまじゃくしが大量発生し、戦々恐々として梅雨を迎えることになる。その時、縁側はカエルからの避難場所として働き、やがて秋がくると、縁側の建具を全て外して縁台に座り、庭を囲みながらみんなで秋刀魚を焼いて食べた。座って庭を眺めると、ちょうど目線の高さに紅葉の木があるのだった。
縁側は、地面から40センチ浮いているだけなのに、逃げ場になったり座れたり視座を据えたり、いろんな働きをするのだから本当にえらい。
季節のめぐる庭と人間と動植物の営み、動的な事物を美しい関係に調律してくれるような、頼もしい存在だった。
 ■建築家コラム 第32回ゲスト 「冨永 美保」 拡大写真 

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あの9階の宇宙のような床をつくりたい。
また、それがあの縁側のように、豊かで予測不可能な環境との関わりをつくり、時には守ってくれる存在であってほしい。

それぞれの土地・それぞれの高さに、どんな魅力的な環境があるだろうか。
どの高さに床をつくるか。どんなかたちで床をつくるか。
床を考えることは、それぞれの土地の大きな風景から、人間の小さな身体・意識までを経験的に結びつけることであると思う。
床に対する期待は尽きない。



冨永さん、ありがとうございました。

団地の9階に住まわれた経験が、建築と周辺環境を俯瞰的に捉えて、注意深く観察するきっかけになったり、周りの住人との程よいコミュニティを考えるきっかけになったように感じました。
またそれが、土地や建物が持っているポテンシャルを見つけ出したり、引き上げている、冨永さんの建築につながっている気がいたしました。

これからもますますのご活躍をお祈りしております。どうもありがとうございました。
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