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こんにちは。
令和2年も4月となりました。 新型コロナウイルスの感染が拡大し、東京五輪・パラリンピックが延期になるという予想し得なかった事態が起きていますが、少しでも早く安心して生活できる社会に戻ることを祈るばかりです。 さて、今回で16回目となる建築家コラムのゲストは「高池 葉子(たかいけようこ)」さんです。 高池さんは約8年間、伊東豊雄さんの事務所に在籍され、東日本大震災後に「みんなの家」の建築にも関わられていました。 今回、高池さんからはどんな「床」にまつわるお話が聞けるのかとても楽しみです。 それでは高池さんのコラムをお楽しみください。 ![]() 1982年 千葉県生まれ 2008年 慶應義塾大学大学院修了 2008-2015年 伊東豊雄建築設計事務所勤務 2015年 高池葉子建築設計事務所設立 2015年 神戸ビエンナーレしつらいアート部門入賞 2017年〜 慶応義塾大学非常勤講師(2017年まで)・工学院大学非常勤講師 2018年 SDレビュー2018 奨励賞 2020年〜 関東学院大学非常勤講師 2011年の東日本大震災の後、伊東豊雄氏と集いの場「みんなの家」の建築に奔走。 その過程で、人と人の結びつきが強く残っている地域の力と、その力を発揮する建築のあり方に目覚める。 建築における床の意味と意匠
1914年、近代建築の巨匠ル・コルビュジェは、ドミノ・システムを考案した。最大限に装飾を削ぎ落とし、建築をフラットスラブ(無梁版)の「床」と柱だけで構成するというものだ。 当時、建築はゴシック様式、アール・ヌーヴォーに代表されるように、装飾至上主義であったが、この建築デザインの改革は、当時の社会的背景である第一次世界大戦下で生まれたという側面もある。 一瞬にして多くの人が亡くなり、家が無くなるという近代型戦争は、これまでの価値観を覆す、新しい世界の幕開けを意味した。 コルビュジェは、一度建築をゼロに戻して、再出発を試みたのである。 2011年5月、私は東日本大震災の被災地を訪れた。 最初に着いたのは、仙台市若林区荒浜。海岸に隣接する地域。そこは無の世界であった。見渡す限り人影はない。聞こえてくるのは鳥のさえずりだけだった。 残った道とむき出しになったコンクリートの基礎。「床」がはぎ取られた建築物の残骸は、人々の生活が一瞬にしてなくなったことを強く感じさせた。 私の建築観も、「建築に完成品はなく、どのように人が使うかに最も価値がある」と大きく変わった。 最近、「床」について、私が強い印象を抱いたのは、映画『パラサイト 半地下の家族』である。 高台の豪邸と、日の光もほとんど入ってこない半地下住宅という、対照的な二つの住まいで物語が展開する。 地面の上の「床」で生活することが許されない人々の惨めさが生々しく描かれ、韓国の格差社会を風刺している。 建築における「床」は、生き生きとした人間らしさ、「生活」の象徴であると思う。人は「床」を獲得することで、日の光を感じ、建築を自分のものにすることができる。 現在設計中の、若い3人家族のための、「床と光の家」は、千葉県八千代市緑が丘というニュータウンにある。 緑が丘は、古くは縄文人や弥生人が住み、多くの遺跡がある。畑や森が広がり、最近まで自然がそのまま残っていた地域である。平成に入り、区画整理がされ、鉄道が通り、新しい街がつくられた。 敷地は、周辺にまだ更地が多く広がっている状態で、建築設計の与件であるコンテクストがほとんどない。このコンテクストなき場所にどのように、家族の生活を形づくるか。私は「床」を、手がかりとした。 まず、地面からコンクリートの基礎が伸び、基礎をそのまま一階の腰壁として現しとし、高さのある床を考えた。区画整理によって一度ゼロに戻った土地に、力強さを与える。 次に、家族や来訪者が自らの居場所を選択できるような8つの床を、段差をつけて配置した。プランは田の字をほどいて広げたものだが、中央や床の角に柱はない。ボリュームの集合として見せずに、あくまでも床の連続によって全体ができるようにするためである。
今後周辺に住宅が建てられることが予想されるので、開口部は外壁側に多く取らず、床と床の隙間を開口部とみなし、できるだけ少ない開口部で、住宅の内部まで光が入るようにした。
隣地境界線には、柵ではなく、様々な種類の植物で構成される豊かな生垣をつくる。 30年後には、これらの樹木は建築を覆うほどに成長し、この敷地自体が小さな森のようになる。家族のまとまりが、床を媒介として周囲に溶け込み、広がりを感じさせる建築としたい。 高池さん、ありがとうございました。
床は建築の歴史や時代背景を映し出したり、社会背景の中でいろいろな意味あいを考えさせてくれたりします。 東北大震災では床の存在がなくなったことで、建築や以前あった生活もなくなったことを強く認識され、建築そのものの意味を考えさせられたのかと思います。 視点を変えることで、床から様々なことが見えてくることに気づかせていただきました。 「床と光の家」も完成が楽しみですね。 今後ますますのご活躍を祈念しています。 |
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